霊能力一家!?
私の幼少期
1978年、神奈川県で私は産声をあげました。世でいう目に見えない世界の出来事が普通に感じ、目にし、当時サイキック能力が強かった私は、これが普通のことだと思っていたので特に人と違うと意識したことはありませんでした。
(今でも人間は皆サイキックだと思っています。その能力を封印しているだけ、気がついていないだけ💦)
しかしながら、人とは感覚が違うと意識したのは高校生くらいになってからかもしれません。私のこうしたサイキック的な能力の話をするのであれば、間違いなく、母と祖母にルーツがあります。
私の母方の家系は、代々“見えないもの”に敏感な家系でした。予知のような直感が鋭かったり、今でいうイタコさん気質だったりと、戦時中にこの大家族に起きた不思議な私は、小さい頃の子守唄のように聞いていた節があります。
そして、私自身も幼い頃から、人の名前やテレビ番組の内容を先に言い当てたり、初めて会う人の情報を自然に“感じる”ことができたりする子でした。また、生まれ育った家は「龍神をお祀りする家」と言われており、その言葉の意味は理解できなくても、自然や目に見えないエネルギーの存在を“当たり前”として受け止めていた気がします。

祖母と生活を共にしていた幼少期、祖母は昔話を語るように見えない世界の話や戦争という苦しい時代を
乗り越える中で、自身が体験した不思議な出来事などを包み隠さず、語り継いだのです。
また、感受性の高い私を誰よりも理解し、その能力を否定せず受け入れてくれた母の存在も非常に大きなものでした。(大人になってから実感したわけですが・・・)
とはいえ、私にとってそれは“特別な力”というより日常の一部。
【目に見えない世界】と【見える世界】を同時に生きるということは普通のことでした。

数字大好きっ子
そんな中で、なぜだか私は数字が好きで、言葉を覚えるよりも、カレンダーや数字の表をずっと見ている
子どもだったそうです。今の私に繋がる要素です。その当時に感じていたことを言語化するのであれば、
数字にはエネルギーがあると理解していて、その数字を見ながらエネルギーの世界を楽しんでいたようです。
また、40歳過ぎて量子力学を理解したいと学び始めたのですが、小さい頃に感覚的に理解していた!
知っていた!ことはこの量子力学的なことだったのだと、ずいぶん後になって気がついたりもしました。
このような小さい頃は天真爛漫に、その感覚を使いながら、力むことなく現実を創り出していたように
思います。
自分でいうのもなんですが・・・思うがままに現実創造をしていたので、近所の人からも魔法使いのように
見られている節がありました。
そんな私が徐々に自分自身の力を封印していくようになります・・・・まだそれは先の話ですが・・・
\\ 幼少期編に続きます・・・・・//