こんにちは、七瀬です。
これまで「出会い編」「学び編」とお伝えしてきましたが、今日はその続き――第3回:【バッチ博士に魅せられて編】です。こんなことを言うと世界中でバッチフラワーの研究や学びをしている方には怒られそうですが、
エッセンスの学びを進めていく上で、エッセンス以上にこのバッチ博士という人間に興味を持ち始めたのです。
\\Vol.1・2を読んでいない方はこちらからどうぞ!!//
🌿 バッチ博士への興味
エッセンスを学んでいく中で、エッセンスの「効能」だけではなく、このフラワーエッセンスを生み出した
バッチ博士という人物そのもの に強く興味を持ち始めました。

ーーーどんな人生を歩んだ人なのか。
ーーーなぜこのエッセンスを作るに至ったのか。
エッセンスを知れば知るほど、その背景にある博士の想いに触れてみたくなったのです。
バッチ博士のことを書くとそれこそ、本でも書かないと終わらないので、ここでは言及しませんが、
バッチフラワーエッセンスを愛する多くの人は、エッセンスの植物のエネルギーへの共鳴はもとより
体に現れる病気というのはその人の本質、魂の声からずれてしまった結果である、
病気そのものがあるわけではないというバッチ博士の信念、そしてその魂の声とのずれを生み出してしまう
感情や思考、精神のあり方についてスポットを当てたバッチ博士の考えに共鳴しているのだとわたしは
感じています。
そして、何より、わたしもその1人です。
🌿 運命を感じる共通点(勝手にですが・・)
学びながらも調べていく中で、いくつか「偶然とは思えない共通点」が見つかりました。
(とはいえ、世界中でバッチ博士を愛している方々には勘違いも甚だしいと笑われそうですが・・・)
バッチ博士の生まれた村は、かつてわたしが住んでいた イギリスのBirminghamに位置する
Bournvilleという街 のお隣のMoselyという街で生まれていたのです。Moselyにも複数の日本人の
友人が住んでいたり、毎週買い物で通っていたのでわたしにとっては生活圏でした。
(このこと知るのはイギリスを離れた後でしたが・・・)
38種類のバッチフラワーエッセンスのうち、12種類は人間の性質や気質を表す「12ヒーラーズ」と
呼ばれています。その中でわたしに最も近いと感じたのが インパチェンス。
実は、バッチ博士自身もインパチェンスの気質。変な表現ですが、バッチ博士の苛立ち方や、
孤独感を肌で感じるような感覚があり、自分とどこか通ずるな・・と感じることが多くなりました。
わたしのパートナーは生粋にアイルランド・コーク出身のアイルランド人です。
まだ実家もアイルランドにあり言うまでもなく、生粋のケルト文化が色濃く残っています。
わたし自身もイギリスに住んでいる時は多いと年4回ほどアイルランドを訪れていましたが(里帰り)
ケルト文化をルーツにもつバッチ博士にさらに運命を感じてしまったわけです。
(わたしは生粋の日本人でケルトには全く関係ないのですが・・^^:)
ちなみにバッチ博士はウェールズ地方に縁をもっていらっしゃいます。エッセンスが作られるヒントは
ケルト文化にも由来しているものが多くあります。
こうしたわたし自身とバッチ博士の「つながり」を感じることで、100年以上も前に生まれた博士を
より身近に感じていくようになります。
何より博士の思想や人生の中での苦悩・・・けして聖人ではなかった、バッチ博士の人間らしさに惹かれ、
わたしの人生を重ねることが多くなり、ただの学びを超えて「これは導かれているのでは」と
感じるようになりました。
何度もいいます、勝手にです・・・^^:(でも、推し文化なんて本当にそんなものです。勘違いや思い込みも
良い方に使えればいいと思ってます)
🌿 学びを深め、日本で活動を…と思ったら
その後、通信制での基礎講座や、どうしても出席したかった対面での応用講座にも参加。
修了証をいただいたときには、
「これからは日本で活動していこう!」
と胸を膨らませていました。
ところがその矢先、パートナーの駐在期間が終了し、再びイギリスに戻ることが決まったのです。
「せっかくこれから日本で…」と思っていたわたしには、正直かなりショックでした。
(※但し、あの時、清水の舞台を飛び降り講座を受けていなかったらイギリスに戻る前には
修了証は手にできなかったので、やはりギリギリのタイミングだったのですよね💦)

🌿 深夜に届いたメッセージ
イギリスに戻るということが決定し、落ち込んで眠れなかった深夜1時ごろ。
また、あの不思議な「声」が聞こえてきました。
「ユーー、調べちゃいないよ」
冗談のようですが、本当にそう聞こえたのです(苦笑)
しかし、わたしにはすぐに「何を調べろと言われているのか」が分かりました。
イギリスに戻るとはいえ、以前と同じ街ではなく、子どもたちの学校の都合で新しい街に住む予定でした。
そこはわたしたち家族にとってまったく未知の土地。
でも調べてみると、その街は 現バッチセンター(バッチ博士が亡くなるまで住んだ最後の場所)
から車で30分強 の距離だったのです。
「またイギリスに行くなんて…」と嘆いていた気持ちは一変。
「バッチセンターの近くに住める!」
「バッチ博士をもっと近くに感じられる!」
贔屓目に見て、バッチ博士の誕生の地と、最後の地に住んでいた日本人というのはなかなか
いないのではないかな・・・
バッチさんのエネルギーを感じながら、エッセンスの本場で学んでいきたい!
そう思うと、再渡英も新しい冒険の始まりのように感じられました。
次回予告
こうしてわたしは、エッセンスの効能を超えて、バッチ博士その人の人生や歩みとの「つながり」を感じながら
ますます深くフラワーエッセンスに魅せられていきました。
次回は、現在までのわたしの変化・フラワーエッセンスとの関わり(第4回:現在編) をお届けします。
どうぞお楽しみに🌿
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\\9月23日(火)よりライト版バッチフラワーエッセンス講座スタート//
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